6/9(水)ニューアルバム「花歌標本」のリリースに向けてオフィシャルインタビューを公開。

今週は後編をお届けいたします。
 

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様変わりした日常が歌詞にもたらしたもの

――コロナ禍で変わった日常が、歌詞にも影響をもたらしたと思う?

 

千野 影響……うーん……誰しもが影響を受けていると思うんですね、俺は。だから、歌詞を書いたときに俺が意識してなくても、出た言葉に少なからず影響はあるな、と。「標本」って<世界中>とか<遠く光る星>とか、大きくて広いことを言っているんだけど、じつは自分とあなたっていう……。テーマは広いんだけど、あなたに向けて歌ってますよっていう曲なんです。俺からしたら出口が狭いというか、行き先が明確というか。そうなったのは、この1年の影響も、少なからずあるのかなって。人と人が深くかかわることが出来ない今だから、ただ広いだけじゃなくて、出口があなたひとりってところに、出てるのかなって思います。

 

――相手の未来のことを歌っている曲ですもんね。

 

千野 そうなんです。でも自分のことでもある。

 

 

――アルバムタイトル『花歌標本』はどこから?

 

千野 さっきも話に出た「虹」って曲は、それこそ鼻歌みたいに作ったんですね。言葉にするとイメージがちょっと適当に聞こえると思うけど、メロディーって、要するに鼻歌みたいなものなんですよね。

 

岡﨑 勝手に出て来るものだからね。

 

千野 そうそう。例えば、広平が作る曲は、デモの段階で、フレーズが結構しっかりしてるんですよ。それで“あぁ、こういうフレーズが弾きたいんだな、このフレーズから作っていってるんだろうな”っていうのがわかるみたいな。で、そこに鼻歌みたいにのってるのがメロディー。僕は、その雰囲気を大切に歌ってるんです。だから、歌うたびにちょっとずつ変わったりするんですよ。雰囲気がまず大事で、メロディーが固まっているわけではないから。

 

――どういうこと?

 

岡﨑 ここはこういう音程で、こういう言葉が欲しい、みたいなのが、細部まで決まってない。それよりも、雰囲気が合う方がいいと思ってるんです。

 

――つまり、楽曲の持つ雰囲気を重視しているから、歌う度にメロディーが変わるということ?

 

千野 そうなんです。譜割りとかメロディーが変わるんですよ。

 

――それ、マジですか?

 

千野 そうなんです。

 

――今、すごくびっくりしてます(一同爆笑)。

 

岡﨑 ノリで出て来たものがいい、そこが大事で。

 

――レコーディング中でも変わったりするの?

 

千野 レコーディング中も。広平には確認しますね。“この曲、ここからどっちにいくの?”って。

 

岡﨑 そう。それで俺が“じゃあ、あっち”って言って。千野ちゃんが“あっちってあっちの方?”みたいな。そういう会話は、ちょくちょくありますね。

 

――へぇええええ! 面白いなぁ。もっと具体的に知りたい。教えていただいてもいいですか?

 

千野 はい、もちろん。例えば、二文字の言葉がありますよね。

 

――はい、想像出来ます。

 

千野 あとは一音に対しての言葉の数とか、もっというとそこはくってた方がいいのかくわない方ほうがいいのかとか。(註:くう=「くい」。拍の裏にアタックが入ること。通常「1、2、3、4」と拍の”表”でカウントをとる。対して、拍の裏とは「1と2と3と4と」とカウントをとった「と」の部分を裏という。この裏にアクセントをつけることを“くってる”と言う)広平の曲は、最初の譜割りに合わせて詞を書いても、次のデモで“あれ、文字が二文字増えてる?”とか、そういうのが結構あるんです。だからその都度、確認する。そういう感じで、歌を作っていくんですね。

 

――なるほど。ありがとうございます。

 

千野 で、アルバムタイトルなんですけど……。

 

 

鼻歌を肉付けした作品、それが楽曲

 

――話を戻していただき、ありがとうございます。続けてお願いします。

 

千野 はい(笑)。メロディーって、基本的には鼻歌から作られるものだなって思いがあって。その鼻歌を雰囲気だったり、言葉だったりをつけていろいろ肉付けしていって、1曲の楽曲になる。ひとつの作品を作り上げていくっていう感じだと思うんですね。その作品の数々が標本だなと思って。例えば、蝶々の標本って、色がおちないまま綺麗に飾られているじゃないですか。楽曲もそう定義づけられるなと。鼻歌をみんなでより綺麗な形にしたものというか。ひとつの作品にして、残せるものだなと思って、『花歌標本』ってタイトルをつけました。

 

――なるほど。色が落ちないまま、色褪せないままってところも大きなポイントですね。

 

千野 そうですね。「標本」の歌詞に<死んでも尚生きる歌を>ってフレーズがあるんですけど、もし僕らが亡くなった後でも、誰かが未来で口ずさんでくれたら……っていう。

 

伊丸岡 それだけでいいんだよね。

 

千野 うん、そうなったら、本当に“標本”みたいに綺麗なままで残ってるって言えるな、と。そういうイメージもありました。

 

 

――<死んでも尚生きる歌を>って、歌詞にしたこと、すごいと思いました。だって、このフレーズ、ずっと歌わないきゃいけないじゃん。それって、すごい勇気がいることだなと思いました。覚悟が無きゃ出来ないというか。

 

千野 そうなんですよ(笑)。

 

伊丸岡 最初、千野ちゃん、このフレーズ変えようとしてたんですよ。でも、僕がそこだけは残してくれって。このフレーズが好きだからって。

 

千野 歌詞って、世の中に出るから、責任が伴うじゃないですか。言葉ってすごく武器になる。いい意味でも武器になるけど、逆に傷つけたり、人を攻め立てたりできちゃうものなんですよね。だから歌詞で、死ぬとか、生きるって言葉を使うのは、すごく勇気がいるんです。俺の中で、死ぬとか生きるとか歌詞に書くと、メンバーは嫌なんじゃないかなっていうのがあったんですね。何て言うんだろう……タブーみたいなイメージがあったんですけど、でもあえて書きたいと思ったんです。生と死って、誰にでもあることで、そういう意味では身近なことだと思うんです。当たり前にみんなが持っているものに対する重み、みたいな。そこが面白いなと思って、あえて書きたくなるときがあるんですよね。

 

――そういう……あえて書きたくなるときっていうのは、定期的に訪れるんですか?

 

千野 曲によってですね。歌詞を書いていて、この流れだったら書きたいって思うときもあれば、別の描き方をした方が印象に残りそうだなと思って、違う方法にすることもある。曲により描きたいことが出て来るから。

 

――なるほど。あの……ということはですよ、永遠に歌詞が書けるとも言えるんじゃないですか。すみません、意地悪で!

 

千野 はははは(笑)。

 

伊丸岡 もはやそう言えますよね(笑)。

 

千野 そうかもしれない(笑)。テーマとか、具体的なメッセージとかを表現したい、歌詞にしたい、伝えたいと思ったことは無くて。そこは昔からずっとそうで、今も変わらないんです。でも、俺は言葉が好きで……何ていうのかな……。

 

――言葉で何かを描いてる感覚?

 

千野 それもあると思います。

 

――でも、言葉だけだと、自分が描く表現のパワーが足りないと感じるときもある?

 

千野 もちろん。曲になるから強いんです。

 

 

1番大事なのは思い出の中にある共感

 

――わかりました。千野さんの書く歌詞には、オレオレ的な主張とか、承認欲求みたいなものがないですよね。

 

千野 無いですね。

 

――じゃあ、その言葉に対する表現欲求の源は何なんですかね?

 

千野 例えば、帰り道にいつもの道を歩いていて、いつも目につくゼラニウムの赤だったり、その景色を言葉にしたらどうなるだろう、みたいな。それが自分的に綺麗な文章になったら、自分が嬉しいってところかなぁ。

 

――言葉は言葉、鼻歌は鼻歌って区別はしてます?

 

千野 考えたことがないですね。それぞれ別だとは思うけど、言葉と鼻歌、つまりメロディーが同時に出て来ることもあるから。でも最近というか、ずっとやってきて少しずつ変わって来たのかもしれないけど、例えば曲先の楽曲に対して、その雰囲気でどんなものを描いて、どんな物語を描いて、それが聴いた人にどんな感じで伝わるかとか、何を残せるかとかを考えて書くことが多くなりましたね。その曲をGOOD ON THE REELとして、どういう作品にするかを考えるようになったと思います。あと、自分の中では1番大事なのは、共感することだなと思っていて……。

 

――共感とは、聴き手と楽曲がシンクロするってこと?

 

 

千野 そうです。例えば「虹」だと<ハイブランドのコスメ>とか、「35℃」だと<久しぶりに飲むマッ缶>とか、描写を細かくすることによって、その人の思い出には無いものになっちゃう……と、思うじゃないですか。でも俺は、そう思ってなくて。その思い出を作るというか……実際には、その人(=曲を聴いた人)の思い出の中には無いのに、懐かしい気持ちにさせる手法だなと思っているんです。このアルバムのマスタリングのとき、エンジニアさんに”「35℃」を聴くと、自分はこんな経験ないのに、経験をしたように感じる。すごく懐かしい感じがしてギュッてなる“って言われて。”あぁ、狙い通りだな、よし“と。

 

一同 はははははは(笑)。

 

千野 “俺、間違ってなかった”と思ったんです(笑)。自分が経験してないけどあるよね、自分の周りにはいないけどこういう人いるよね、みたいな感覚ってあるじゃないですか。それで何となく切なくなったり、何かを思い出したり。それが共感だと俺は思っていて。聴く人に合う言葉ばかり書こうとすると、大きな歌詞になっちゃうんですよね。みんなが思ってそうなことばかり書くと、逆に伝わらない歌詞になると思う。感覚的に近いものが1個あったりとか、誰もが感じたことがあるような雰囲気を言葉を通して感じさせられれば、もう共感してるって思うから。聴いてる人には、何か残したいし、何か感じて欲しい。だからそこを1番、大切にしています。

 

――わかりました。昨年から15周年イヤーが続いてますが、15年間バンドを続けてこられた理由について。分析していただけますか?

 

千野 僕は、辞める方、終わりにする方が勇気がいると思っていて。そこも自分の中で続けて来れたひとつの要因だと思う。あとは、こういうメンバーが集まったってところですかね。こう……自我が強すぎて、手が付けられないよー、みたいな人がいないというか。ぶつかってぶつかって、分かり合って、みたいなメンバーじゃないから。物ごとを俯瞰で観ることが出来る人間が揃っているから。

 

岡﨑 お互い、踏み込み過ぎない。それが大きいと思います。もしそういう人がいたら、もう終わってたかもしれない。でも最近は“15年経って、このままでいいはずないよね”って話もしたりしてるんです。メンバー1人1人考えて、言うことは言っていこうかってなってますね。

 

――具体的にはどういう話を?

 

岡﨑 ……ちょっと赤裸々になりそうな……。

 

――わかりました。じゃあ、これ以上つっこみませんね(笑)。

 

一同 ははははは(笑)。

 

――でも今の回答は、メンバー同士で、具体的な話は出て来てるって捉えていいですよね?

 

伊丸岡 そうですね。そもそも具体的に考えよう、共有していこうってところで、話しているんで。自ずとGOOD ON THE REELのこれからの話になりますから。

 

――15周年イヤーもまだ続きますし。4年ぶりのフルアルバム『花歌標本』もリリースされますしね。

 

千野 そうですね。これまで何となく……で共有して来たところもあるから、そこをはっきり共有出来るのはすごくいいことだ、と。そこがこれからいい形で出て来たらいいなと思いますね。

 

 

取材・文:伊藤亜希