メンバーからファンの皆様、関係者の皆様へ
 
 
最後に連絡を取り合ったのは1月3日、亮太の誕生日。
18歳で出会って、それからずっと一緒に人生の山や谷を越えてきました。
亮太も言ってくれていたけど、家族といっても過言ではない存在です。
どんな時だって今思えば、かけがえのない大切な思い出です。
突然の訃報に心が潰れそうで、抜け殻のような日々です。
それでも生きていくには前を向かなきゃいけないので、最近は物事を考えられるように努めています。
亮太が遺したたくさんの楽曲達が、これからもあなたの耳に、胸に、在り続けることを願っています。
そしてできることならステージで輝く亮太の姿を、忘れないでいてください。
 
亮太の曲、これからも大切に歌わせてもらうね。
お疲れ様。出会ってくれてありがとう。
 
千野隆尋
 
 
 
突然の訃報で暫くは受け入れることが出来ず、言葉を綴るのに時間がかかってしまいました。ごめんなさい。雑多になりますが自分の言葉で追悼します。
 
時代錯誤のロックスター気取り。美味しいところは全部食べちゃうけど、お腹壊してうずくまる。大胆さと繊細さをごった煮したような奴でした。
思い返せば18の春、東京で一花咲かせようと意気込み集った高田馬場の教室の真ん中でラグラン、ダメージジーンズ、茶髪、メッシュキャップにピアスという高圧的な出立ちで辺りをキョロキョロと見回していたのが亮太で、最初に目が合ったのが一番後ろの席に座っていた自分でした。
 
「なんだあのお調子者は」
 
そんな物語の始まりで結局その日のうちに打ち解けてから約20年間、共に酸いも甘いも経験しながら旅してきました。
 
スタートがただのクラスメイトなので上も下もありません。お互いがお互いの意見を聞かずピリピリした場面も多々ありました。暴論でも愛されるのは伊丸岡亮太の天性の才能。自分には到底真似できない猫のような人懐っこさに、ある意味嫉妬していたように思います。
 
ようやく写真フォルダを振り返れるようになりました。うーむ絵になる男。メンバーの中で断トツの枚数。お調子者のフザケたポートレートが大半を占めています。指折り、思い出を数えたなら、シャトルランの自己ベストをマークするほど往復が必要になりそうです。
 
最期はちゃんと顔を見てお別れしてきました。昼寝しているみたいでした。いろんなこと思い出して枯れるほど涙が出ました。沢山のミュージシャンが来てくれて背中をポンと押してくれました。
しっかりさよならをして、そろそろ前を向こうと思います。
 
来世ではもう一緒にバンドを組みたくないです。疲れちゃうから。別のバンドを組んでガヤから「魅力的で面白い奴がいるんだよ」ってアイツの活躍を応援したいです。
亮太、楽しかったよ。ありがとう。
 
岡﨑広平
 
 
 
突然の訃報に、信じられない気持ちと深い悲しみに襲われました。昨年バンドを脱退してはいますが、亮太は長く大切な時間を共に過ごしてきた友人であり家族のようなものです。全く心の整理がつかず、気力の湧かない日々が続きました。
 
今は彼との別れを受け止め、少しずつ前に進もうとしているところです。
 
亮太の遺した楽曲と思い出が、僕たちそしてみなさんの生活をこれからも彩ってくれることと思います。
 
ありがとう。ゆっくり休んでね。
 
宇佐美友啓